静かな養生
9月11日、金曜日。
朝方4時台に目が覚めるくせが着いたのか、またほのかに明るく薄暗い中で、朝ごはんを食べる。さすがに電気をつけて元気いっぱい、という訳にもいかない。
昨日かなり歩いて、疲れた。私の養生の中では静の動。今日は静の静を全うする。
静かに耐えている。
静かに待っている。
この道中が耐えられるものなのかもわからない。
でも、時々。動の衝動の欠片を捉えることが出来る。
とらえたらできるだけ自分の中にしみこませる。
撒いた種に水をやるように、大切に伸ばし開かせていく。
それは静かに厳かに行われる。
地鎮にも似た作業だ。
誰にも邪魔されてはならないし
誰にも侵されてはならない。
午前中は工事の音がずっと鳴っている。
得るものもなく集中する時でもない。
眠る。
午後、15時を過ぎると工事の音は止み、しばらくすると学童の帰り道のはしゃぐ声が聞こえる。
風が変わり、光がそっとしなってくると、少し動の衝動が私を包む。
買い物に出るくらいなら、ほんの小さな衝動で済む。それは制作ではなく日常業務だからだ。
生み出すための動を、毎日少しずつ、ためていく。
誰も見つけられない、誰も触れられないところに、それはある。
毎日、その深いところに秘かに触れて、大丈夫か確かめる。
静だけでためられるものでもなく、動だけが作用するものでもない。
今日も一日が終わる。
私は時のネジを撒く。