波の音、風の音

生活保護中の私の記録

貧乏であること

4月27日、月曜日。

午前中は晴れていたけど、午後からうっすらと曇ってきた。洗濯物を取り込む頃には雨になっていた。


今日は、やれることは少しだけだった。

FXの勉強をする(が、途中でまた寝てしまう)。

作ったお菓子がなくなったので(食べてしまったからだ)、ホットケーキミックスも売り切れてたので、卵を卵白と卵黄に分けて泡立て、ケーキの作り方でカップケーキを作った。引越し前に小麦粉を無くしたいので、あと1回作る予定。


強いていえば、丁寧な日だったと思う。

やりかけのままの物もないし、その日のうちの片付けも終わった。


GYAO!で動画を観てるんだけど、ご飯の時とかね、今日最終回だったのがあって、不思議な気持ちになった。

正直、このブログは遺書のつもりで書いていて、当初の予定では私はもっと早くに死亡しているはずだった。

なのに、最終回を観れた。

書き始めた頃は今よりもっと苦しくて、どこにも行き場も出口もなくて、死に方ばかり探していた。

何とか生活保護を受けられるようになって、実際に生きている。その間、父が亡くなってそれからもひと月が過ぎた。

生きるってなんだろう。


友人と電話で話した時、「今は貧乏だけど、でも、貧乏っぽくないよね」と言われた。

縮こまってないし、堂々としてるって。

言われてみればそうかもしれない。

そう、だね。以前は生活保護受ける人になんてなりたくなかった。見下してた。だから借金してまで年金払ったりしてた。


今は違う。私は貧乏だ。

笑っちゃうくらい貧乏だし、普通に生活保護受けてるので、と言えてしまう。

持ってるお金は数千円しかない。

なんでか分からないけど、全然恥ずかしくない。

それに、心が楽になった。借金という重荷が無くなって、本当に軽やかなんだ。

だって、あとは稼いでいけば良いだけなんだもん。


もうひとつ。お金はない。けど、心までは貧しくない。

私には夢がある。それを共有してくれる大切にしたい人も何人かいる。それだけでも充分幸せだし、満ち足りてる。

私がこういう境遇になったことを打ち明けて、聞いてくれた人は、温かかった。変な同情もせず、変わらず接してくれている。こんな嬉しいこと、他にない。


マザー・テレサが来日したとき、日本は経済的に豊かな国だけれど、困っている人達に対して無関心だ、と言っていた。

お金という価値観、幸せという価値観を、いまだに考えさせられる。